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2010年4月16日 (金)

輸入車は豪華なクルマではない

引き続き、僕の著書「国産車の予算でかしこく輸入車に乗ろう」(99年ごま書房刊)より、再録。

第一章
こんな誤解をしてはいないか--
輸入車を狙う前に知っておくべきこと。

1・輸入車は豪華なクルマではない

かつて、輸入車は外車と呼ばれていた。もちろん今もそう呼ぶ人は多いし、輸入車と言われてもピンとこない人も多いことだろう。外車と輸入車、結局は同じ物を指すこの二つの言葉には、じつは、ちゃんと意味の差が存在する。

ガイシャ、という言葉には、特別な物、という意味が多分に含まれていた。それは、ガイジン、という言い方にも通じるものだ。舶来品、というのもそうだが、当時の日本人にとっては、外国の物(や人)はすべてが上等で、国産品より数段イイ物、という概念があったわけだ。民族的な差異まで含めて“ガイ”物を有り難がったのは敗戦国ゆえかどうか、はこの際おくとして、事実、国産車の黎明期からモータリゼーションの発展途上期までは、輸入車と国産車には、明らかな差があった。つまり“ガイシャ”は文句なく上等な物だったのだ。冷蔵庫でも洗濯機でもテレビでも、それは同じことだっただろう。

もちろん国産メーカーも、その差を指をくわえて見ていたわけではない。品質面でも性能面でも、たゆまぬ努力を続け、およそ大抵の工業製品に関して、世界でもトップクラスの品質と性能と価格を実現し、経済大国を築く原動力となったのはご存じの通りだ。つまり、少なくとも商品力の上では、もはや国産品は外国製に劣らぬだけのデキを達成したと言える。

ところが、その商品力向上の手法は、いかにも日本的なものだった。努力と工夫によって品質を安定させ、故障の少ない機械を作り上げたことは評価できるとして、コストダウンのために可能な限り合理的な--裏を返せば必要最低限の--作りに、豊富なアクセサリーや上手な仕上げによって付加価値をつける、というやり方だったのだ。結果として、価格の割にはお買い得感のあるモノはできたかもしれないが、それによって慣らされた日本人は、いつしか「いろんな物がついているのが高級なんだ」と考えるようになってしまった。つまり、クルマをその本質ではなく、見栄えで選ぶようになったと言ってもいい。この考え方で作られた国産“高級車”の中には、フルオートエアコンはもちろん、加湿器や、バイブレーターつきのシートを備えたクルマさえあった。

今、輸入元では、自社の商品を外車ではなく、輸入車と呼んでいる。それは、かつての特別視されることによって商品価値を高めるという手法ではなく、「外国で作られた、質の高いクルマ」としてそれを売ろうという、彼らの戦略によるものだ。もちろん従来どおりの、偉そうに見えるための輸入車ニーズは健在なのだが、この呼び替えのおかげもあって、最近では大衆車クラスの輸入車も、それなりに販売台数を伸ばしている。

いまでも輸入車を“高級品”と考えている人は多い。ところが、そういう人を輸入車に乗せてみると「意外と質素なんですね」と驚いたりする。そう、輸入車とは決して国産的な“高級車”ではないのだ。これは大衆車クラスだけでなく、大きな、いかにも高級車たちでもそうだ。

もちろん、英国車に多く見られるような、本場ならではの本革のシートや磨き込まれたウッドなどはさすがに見事な仕事ぶりだが、音のいいオーディオとか、繊細な空調とか、プラスチック製のインパネの微妙なシボ、さらにかゆい所に手が届くような各種の自動化といった、細かな仕上げにおいては、輸入車はむしろ質素とさえ感じるクルマが多い。とくにヨーロッパ車はそうだ。

では、そんな質素な輸入車は、もはや高いだけで国産車にかなわないのか、といえば、そんなことはない。目に見えない骨格の作りや、操縦性に表れるお国柄、そしてなにより「クルマとはかくあらねばならない」という、作り手の強烈なメッセージという個性がある。

国産車がついに身につけられなかったものが、このメッセージだった。「お客様第 一」という耳障りのいいスローガンの元に作られ、結果として世界のお客様に認められた国産車には、このテのメッセージは邪魔者だったのかもしれない。今の国産車は、悲しいことに誰が作ったのか分からない無国籍車になってしまった。しかも、そのおかげで世界で売れるクルマになった。それを喜ぶべきか憂うべきか、は、たぶん、輸入車に乗り、その強いメッセージに耳を傾けてみて、初めて判断されるべきことなのだろう。

輸入車は決して豪華なクルマではない。それ以外の部分でこそ、光るのである。もちろん、「輸入車に乗るとモテそうだしー」という人が、“高級”とされるクルマに憧れるのは勝手だが、それならセコいことを言わずに新車を狙うのが正しい。

●2010年現在の追記
90年代半ばからの輸入車は、日本車を見習い、コストダウンや消耗部品の削減によるメンテナンスフリー化などを進めている。かのメルセデスベンツでさえ、「我々はもはや殿様商売はできない」とコストダウンを公言する時代だ。それをもって堕落という古いクルマ好きもいるけれど、乗り比べてみれば、やはり輸入車には国産車には今なお表現できていない、作り手の強いメッセージや個性を感じることができる。

逆に世界市場で彼らと闘う国産メーカーも、自分たちに欠けているのはそこであることを自覚して、個性や味といったメッセージ性を重視したクルマ作りにトライしはじめている。この原稿を書いた後で外国人のカルロス・ゴーン社長が就任した日産などは、やはりいい意味での日本車ばなれした個性を身につけてきているし、トヨタもクルマ好きで知られる豊田章男社長のもとで、数値性能では表せないクルマの味について本気で研究している。ホンダやマツダ、スバルなどの、もともと個性的なメーカーたちも、よりそれをわかりやすく表現しようと頑張っている。

今なお輸入車が日本車のお手本である現状は変わりないけれど、これからは輸入車か、日本車かではなく、どんなに面白いクルマなのか、という視点でのクルマ選びができるようになりそうで、ちょっと期待している。もちろんエコカーにおいてもそれは同様だ。

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コメント

輸入車はどれも目玉が飛び出そうなくらい高くて、びっくりしたことがあります。でもあんな豪華な内装、GTカーと見まごうほどの高性能。やはり明治以降の日本人の舶来信仰を満たすためにはこれくらいやらないといけないのかと思いました。でも同じ値段でもっといい車が買えるのになあ、日本車なら。

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