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2010年4月15日 (木)

輸入車に乗って日本を変えよう

フリーランスになって、本腰を入れて作りはじめた「輸入車中古車情報」は、たちまち軌道に乗った。

当時はバブル時代に売れた輸入車が、中古車市場に数多く出回るようになった一方で、程度の悪いクルマを言葉巧みに売りつけ、あとは知らんぷりという怪しい店も多かった。輸入車は維持費が高いから、中古車で安く手に入れても、結局カネがかかって維持しきれないのではないか、という不安も読者には強かった時代だ。そこで、そうした不安を払拭するために、どんなクルマを、どんな店で買い、どうつきあえばいいのか、というソフト関連の記事に力を入れたことで、支持を得ることができたのだと思っている。

僕自身、輸入車を扱うのは初めてだったから、販売店やメカニック、ユーザーなどに取材する過程で多くのことを学び、これまでのハードウエア評論中心の自動車雑誌のやり方ではいけないと考えた結果だった。

その一方で、輸入車=高級品というステレオタイプの概念ではなく、海外の異文化が生み出した、魅力的なライフスタイルアイテムという輸入車の魅力をきちんと伝えることも必要だ、という考えも僕の中で高まって行った。輸入車に乗ることは、見栄やファッションだけではなく、まるで日本にいながら海外旅行をするように、外国の文化や知性に接することもできるのだ、ということを伝えたいと思ったのだ。

その集大成として、1999年に出したのが初の自著「国産車の予算でかしこく輸入車に乗ろう」(ごま書房刊)だった。この本をきっかけに、新聞での連載なども舞い込み、僕の仕事の幅も拡げることができたが、残念ながらすでに絶版。そこで、この機会に内容を再録していこうと思う。刊行から10年あまりが過ぎたが、今読み直してもまだまだ通用することは多いはずだ。

「国産車の予算でかしこく輸入車に乗ろう」

序章-輸入車に乗って日本を変えよう

150万円のメルセデスベンツ。もちろん、新車が買えるわけはない。中古車だ。しかし、国産大衆車の新車なみのこの予算で、正真正銘のベンツが実際に買える。これはけっこう、グラッとくる事実ではないだろうか。

しかし、多くの人は次にこう思うだろう。「ベンツと言っても、ボロボロのガタガタなんじゃないか」「買ったはいいけど、次々壊れて、維持に大金がかかるんじゃないか」……。

最初の感想に関しては、決してそんなことはない。150万円(ただし、車輛本体価格だが)あれば、しっかりベンツの魅力を備えた、冠婚葬祭、どこにでも乗り着けられる程度のクルマが手に入る。そりゃ、新車のピカピカを想像されては困るが、少なくとも、国産車の普通の中古車と同程度のクルマは容易に探せる。

問題は、二番目の声だ。

かつて、ベンツに限らず輸入車は金がかかるというのが通り相場だった。ちょっとぶつけただけで鈑金代が数十万円、車検に出せば100万円コースは当たり前、などと言われたものだ。

一面、それは真実ではあった。が同時に、それには理由があった。

日本における輸入車と、それを購入する人々、両方の特殊な“地位”が、そのような非常識な状態を作りだしていたのだ。

かつて、輸入車は国産車など足元にも及ばないほど上出来の存在とされていた。たしかに、30年も前のスーパーカーブームの頃までは、技術的にも、また品質的にも、国産車は欧米の輸入車に後れを取り、性能的にも圧倒的に引き離されていた。

だから、輸入車は誰にとっても憧れの対象でありえたし、円が今より3倍も安かった当時、それを買える人はお金持ちか悪いことをした人、どちらかだったのだ。

そうした客層はそうはいるものではない。だから輸入車は数で商売にはならない。となると、いきおい、部品のストック代も、鈑金や整備工賃も、国産車より高くせねば採算が合わない。しかも、そうした客は総じてクルマの状態には無頓着で、普段はボンネットひとつ開けたことがなくとも、万一、故障でもした日には、庶民よりけたたましいクレームの嵐を寄せる、つまりディーラーにとってはうるさがたの客である。

車検を通したにもかかわらず、不調箇所でも出ようものなら、何を言われるかわからないから、万にひとつもトラブルが起きないよう、国産車なら考えられない部分まで部品を交換してしまう。しかも、当時の輸入車たちは必ずしも日本に合った仕様ではなく、本国からそのまま持ってきたようなクルマも多かったから、気候風土や使い方の違いから、トラブルも発生しやすかったのである。結果、100万円の請求書も実在した。それに驚かないオーナーだけを相手にしていたからできたことなのである。

しかし、おおむねバブル以降のここ20年で、輸入車を取り巻く状況は大きく変わった。国産メーカーの技術は劇的に向上し、今や性能的にも品質的にも、世界に遜色がない、どころか、多くの場面でそれを凌ぐようになった。相対的に、輸入車の信頼性が低下してしまったのである。

その一方で、バブル景気の前後からマーケットとしての日本を本格的に重視するようになった各国のメーカーは、日本の気候風土や使い方に合った専用の仕様を作り、持ってくるようになった。ディーラー網も増え、ラインアップもかつてのような高級大型車ばかりではなく、生活に密着した実用車に、可能なかぎりリーズナブルな価格を提示するようにもなってきた。

ところが、ここに変わらないものが一つある。日本人のクルマというメカニズムに対する認識がそれだ。

どういうことか、と言えば、われら日本人は、昔から冷蔵庫とクルマを同列に認識しているのだ。困ったことに。

たしかに、冷蔵庫は買ってきてコンセントにつなげば、あとは数年、時には10年以上も、なにも文句を言わずに働いてくれる。それが“常識”と言ってもいいだろう。しかし、クルマにもその常識をあてはめてしまってはいけないのである。なぜって、冷蔵庫とクルマは同じ機械製品である、ということ以外、何も共通点がない物だからだ。言うなれば、同じ生き物だけれど、ハムスターと猫ではその性格も飼い方も違うというのと同じなのだ。

冷蔵庫が壊れても、まず他人様に迷惑をかけることはなく、せいぜい1週間分の買い置きをフイにするぐらいだが、クルマが壊れたら、ときに人様の生命まで危険にさらしてしまう。まして、冷蔵庫はそれが動いているかどうかさえ意識する必要はないが、クルマはドライバーが操作しなければ絶対に動かない機械なのだ。それがなぜか日本人には理解できていないのである。

クルマとの生活の長い欧米では、機械は動かせば傷むもの、という当たり前の常識が人々の中にある。まして愛車の整備を怠ったがために故障や事故が起きたり、環境を害したりすることは恥ずかしい、という自己責任の考え方もある。だからたとえ車検などなくても、彼らは愛車の調子には常に気を配るし、もしも壊れても、仕方がない、当然のこととして必要な修理を施し、再び乗る。もちろん、輸入車各車は、その“常識”にのっとって作られているわけだ。

翻って、わが日本流はどうだろう。クルマは冷蔵庫のようにメンテナンスフリー、つまり手が掛からないのが望ましい、という考え方は、なんだかもっともらしいが、言い方を変えれば、これはクルマになんか責任を持ちたくない、ということだ。釣った魚に餌をやらない、ではないが、買ったクルマにかかる金は惜しみ、そのくせ走れば当然起こる傷みや各部の磨耗による故障は許さない。規制緩和で車検や点検の項目や間隔が簡易化されて、この傾向はさらに進んでしまいそうな気配だ。

もともと、各種の規制緩和は外国メーカーからの外圧がきっかけではじまった。日本には車検のありかたを始め、クルマに対する規制が多すぎて、非関税障壁になっている。それを改めて、輸入車を気軽に乗り回せる環境を作れ、というのがその言い分である。

けれど、外圧がその狙い通り輸入車メーカーに利したか、といえば、必ずしもそうではないと思う。規制緩和はユーザーの負担を軽くしたかもしれないが、それは同時に、クルマとは、冷蔵庫のようにほっておいても動いてくれるものだ、という考えだけにマッチし、その代わり手入れをしなければ壊れる、という当然の自己責任原則には思いが至ってはいない。

これは、輸入車メーカーにとっては、非関税障壁ならぬ民族的障壁だろう。いかに日本仕様とはいっても、輸入車はまだまだこうした乗り方をするようには作られていないのだから。

国産メーカーは、もちろん日本人のこの気質に合ったクルマ作りをしている。メカニズムの手入れは2年に一度、車検の時に最低限でOK、を目指している。日本人は一台のクルマに乗る期間が概して短く、新車からせいぜい5~6年も乗ればオンの字だ。現代の日本メーカーの技術をもってすれば、その程度の期間ならこれは難しい話ではない。ただし、これは言うなれば使い捨てを前提とした作りである。おかげで買い換えが進み、日本経済も伸びる、と言えばそれはたしかだが、もうそれは通用しない世の中になっているのではないだろうか。

150万円のベンツ(に代表される中古輸入車)は、そうした日本人の“非常識”を矯正する教材たりえる存在だ。ベンツに限らず、新車から相当の年月や距離を後にした安い中古車でも、それなりのメンテナンス、つまり修理や気遣いをすれば、その魅力や価値をいつまでも堪能できる、それが輸入車だ。国産車のような使い捨て感覚ではなく、手入れという自己責任の元に長く乗ることを前提に作られているからだ。

ところが、先に述べたような考え方の違いがあるから、勘違いの不満や不安も出てくる。壊れるんじゃないか(買ってすぐ壊れた)、お金がかかるんじゃないか(任せておいたら大金を請求された)……というのはその代表だ。とくに輸入車の場合、いまだに“高級”というステレオタイプな勘違いをしている人も多いからタチが悪い。

「輸入車中古車情報」に立ち上げからかかわり、僕は150万円で買えるベンツに対する人々の熱い期待と不安、そして勘違いを、目の当たりにしてきた。国産車が勢いを失いつつある今、庶民にも身近になった個性的な輸入車は、たしかに魅力的だ。けれど、先のような勘違いを未だにしている人達はまだまだ多く、そういう人には、必ずしも安易には勧められないとも思うのである。

と同時に、多くの人が輸入車に目を向けている今こそ、こんな勘違いを正すチャンスだとも思う。

日本では昔から、多くのものがお上の主導のもとで導入されてきた。クルマもその一つだし、大きなところでは、民主主義というわが国の根幹さえ、そうかもしれない。その結果、好きな物を選ぶ自由と引換えに、管理責任や社会に対する義務が課せられることを、庶民はあまり考えることなく、戦後65年を過ごしてしまったのだ。先の勘違いもまた、その延長上にあると思える。

ところが、輸入車に乗ると、その勘違いを根本から覆されるのだ。義務と権利、自由と責任がイーブンの関係にあることを忘れると、多額の請求書か、道端で立ち往生した愛車か、そのどちらかで思い出させてくれる。それが輸入車だ。つまり輸入車は、そういう考え方の国から来た“異文化”なのである。

だからこそ、たかがクルマとの接し方を考えることが、これからの日本人のあり方を考える上でも、大切なことかもしれないと思う。

本書には、なるべく安く、安心に中古輸入車に乗るためのノウハウが書かれている。ただし、そのために守るべきルールや、考えるべき姿勢もまた、聞いてほしいのだ。楽しいカーライフを送るために、クルマを通してより良い明日の社会を作るために。

すこしお説教臭いかもしれないけれど。

●2010年現在の追記
この原稿を書いてから10年あまり。エコカーの分野においては、ハイブリッド車に代表される日本車は瞬間風速では世界のトップを走っている。ただし、10年前に本稿で述べたような日本人の感覚は、どこまで変わっただろう。クルマを維持し、走らせる行為には、自己責任が問われるという点では、エコカーの時代になってもクルマとの接し方は変わらないはずだ。

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