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2010年4月14日 (水)

チャンスはピンチの顔でやってくる

1993年春、ある中堅総合出版社の編集部員だった僕は、販売営業部への異動を命じられた。編集部から営業部への異動自体は、業界では必ずしも珍しいことではない。中には編集者としての幅を拡げるために、という明確な意図を持って一度は営業を経験させる出版社もあるが、創業から30年足らずのその会社では初めての人事だった。

今にして思えば、上層部には編集部と販売最前線の書店とのパイプ役となり、売れる企画につなげて欲しいというまっとうな狙いがあったのかもしれない。しかし、編集者というのは基本的に職人気質の専門職。編集者として10年の経験を積み、いよいよこれから仕事が面白くなるという時期の僕にとっては、その辞令は青天の霹靂だった。編集部の同僚達からも、気の毒そうな顔をされたものだ。

ところが、ピンチの顔をしてやってきたその異動が、僕の人生を大きく変えた。結果として、それはまさにチャンスだったのだ。

私服で昼近くに出社する生活から、背広でラッシュアワーの満員電車に揺られる生活への変化は慣れるまで大変だったが、営業部の仕事自体は勉強になった。自分が作った雑誌や書籍がどのように書店に並び、どう返品されるのか、編集者時代には知らなかったし、担当になった書店さんには、根っからの本好きの店員さんがたくさんいて、貴重な話しもたくさん聞けた。毎日、首都圏の書店を回り、フェアの注文を取ったり、常備と呼ばれる自社出版物の棚の売れ行きをたしかめたりといった営業部の仕事は、自分がいいと思える本を作れば結果はついてくると不遜にも考えていた当時の僕にとっては、読者や販売の現場をあらためて意識するいい機会になったのだ。

ただし、編集の仕事と比べると、それが刺激に欠けていたのはたしかだった。編集者はつねに新しい出逢いやできごとを求め、面白いものはないかと歩いたり考えたりするのが仕事。毎日違った人に逢えるし、白紙からモノを作るという楽しさもある。その代償として、なかなかじっくり人とつきあう時間が取れなかったり、締め切りに追われて徹夜が続く過酷さもあったが、それは僕の性には合っていた。しかし営業は取引先である書店さんとじっくりと信頼関係を築くのが主な仕事。肉体的には編集職よりはるかに楽だったが、夏などはまだ明るいうちに会社を出て、上司の悪口を言いながら一杯、というサラリーマンライフには、僕はやっぱり馴染めなかったのだ。

そんな僕の気分を見越したように声をかけてきたのが、自動車雑誌社時代につきあいのあった編集プロダクションの社長だった。「増刊号として出す輸入中古車情報誌の仕事を受注したんだけど、やってくれない?」というのだ。

もともと僕は最初に務めた自動車雑誌社で、中古車情報誌の編集を最初に手がけた。今も続いている「ノスタルジック・ヒーロー」(芸文社刊)というちょっと古いクルマがテーマの雑誌は、当時僕が企画した増刊号に端を発する。その後、ドレスアップ情報誌や新車情報誌を経て、芸域(!?)を拡げようと総合出版社に転職した。だから中古車情報誌作りのノウハウはある。社長はそれを見込んで声をかけてきたのだ。

淡々とした営業部の生活にそろそろ飽きてきていた僕は、二つ返事で引き受けた。昼間はきちんと書店回りをして営業部員としての仕事をこなす一方で、夕方からはそのプロダクションで企画を練り、取材の段取りを組み、有給休暇を取って取材して作ったその本は、望外に売れた。それが、今日の「輸入車中古車情報」(内外出版社刊)の前身だ。

そもそも、編集者には外部のつきあいが多い。だからこうした内職が舞い込む機会は初めてではなかった。これ以前にも、社外で自動車雑誌の創刊にかかわったり、有名レーサーのゴーストライターとして運転テクニックの記事を書いたり、という仕事もしていたのだ。単発で舞い込むこうした仕事は、ちょっとしたお小遣い程度のギャラだったが、後腐れがなかったし、新しい企画や人脈を作るきっかけにもなったから、編集者としての本業にとってもけっして悪い影響は与えなかったはずだ。

ところが、内職のつもりで作った本が売れ、続いて年内に出した数冊が、すべてそこそこの数字を残すと、定期刊行化の話が持ち上がった。さすがに定期刊行物を片手間の内職で作るわけにはいかない。事実上、僕ひとりで作った本だから、愛着もあるし、人に任せたくもない。件の社長は「いい機会だから、フリーになっちゃえば」と悪魔のささやきをする。営業部に異動して1年。頃合いでもあった。

かくして1994年春、僕は勤め人を卒業し、フリーの編集ライターになったのだ。

以後、生命保険会社のPR誌の仕事で全国を駆け回って中小企業の社長にインタビューしたり、「週刊朝日」の芸能欄でタレントや歌手のインタビューをしたりといった芸域を拡げながら、気がつけば16年。すでにサラリーマン編集者時代より長い年月をフリーランスとしてなんとかやってきた。もちろん、専門分野の自動車雑誌の仕事は数えきれない。数えてみたら、勤め人時代もふくめて、編集者やライターとしてかかわった新雑誌や媒体は10誌を越えていた。今も刊行されている残存率は6割ぐらいだから、かなり打率はいいほうだと思う。

このブログでは、僕のフリーランス生活をずっと支えてきた輸入中古車に関するアレコレを柱にしながら、もの書きとして出逢った人やモノの話、編集者、ライターという仕事の裏話なども書いていきたいと思います。よろしくおつきあいください。